1958年に長編アニメーション映画第1作『白蛇伝』、翌年に『少年猿飛佐助』を制作公開した東映アニメーション(当時は東映動画)。 第3作には再び中国を舞台にした作品をと企画されたのが『西遊記』。その際、月刊漫画雑誌「漫画王」(秋田書店)に連載された、手恊謳カの『ぼくの孫悟空』が原作として選ばれた。 以前からアニメーション制作を目指していた手恊謳カは、原作を提供するだけでなく、東映動画嘱託として長編の原作を映画として再構成し、ほとんど絵コンテに近い数百枚のストーリーボードを描きあげた。 漫画家として多忙を極めていた先生は、この作業の半ばから石森(現・石ノ森)章太郎氏と月岡貞夫氏にアシスタントを依頼。この2人にラフを清書するという形で完成させた。 手恊謳カはこの経験を活かし、自分の思う通りにアニメーションを作りたいという夢を実現させるために1961年「虫プロ ダクション」を設立、商業アニメーションと実験アニメーションの両方を制作していった。そして63年1月1日に放送が スタートした『鉄腕アトム』は、当時不可能といわれていた毎週30分の連続テレビアニメを実現し大ヒット、現在に続く 日本の「アニメ」制作のフォーマットとなる。東映アニメーションもテレビアニメシリーズの制作に乗り出し、第1作の 『狼少年ケン』は当初から人気を呼び、63年11月から86話、再放送を含め約3年にわたって放映された。 虫プロダクションでのアニメ制作と並行して、手恊謳カは1962年公開の東映アニメーション長編第5作『アラビアンナイ ト シンドバッドの冒険』では作家の北杜夫氏と共同で脚本を担当、63年公開の『わんわん忠臣蔵』では原案と構成を担 当。この後、手恊謳カは本業である漫画家と虫プロダクションでのアニメーション制作をメインとされたため、東映アニ メーションとの関わりは、10年後の『ミクロイドS』となる。
手塚治虫原作のアニメの中でも、ヒーロー要素に特化して制作されたのが本作『ミクロイドS』である。だが、それは単純なヒーロー作品とは一線を画していた。この作品が発表された70年代前半は、第一次ヒーローブームとも言うべき時代であった。当時はアニメと言う単語が一般的ではなく、特撮ものと一緒に『テレビまんが』と呼ばれていた時代であり、子供たちも特に気にすることなく作品を同列に見ていたのだ。 そんな中、特に子供たちの注目を集めていたのはNET(現;テレビ朝日)土曜日夜の時間帯であった。ここから『仮面ライダー』、『人造人間キカイダー』、『デビルマン』などのヒーローたちが誕生し、後の子供向けテレビ番組に大きな影響を与える。このヒーローたちと同じ流れで製作されたのが、本作『ミクロイドS』であった。
マルスの放映された1977年は手塚治虫が漫画家生活30周年を迎えた節目の年に当たり、 それを記念して製作された。手塚治虫による原案とキャラクターデザインによって、西暦2015年という近未来を舞台にスーパーパワーと心を持つ少年ロボット、マルスを生み出した。 当初はアトムのリメイク版として考えられていたため、マルスと後の親代わりとなる川下博士には、旧虫プロ版アトムと御茶ノ水博士を声優、清水マリと勝田久のコンビが演じている。製作スタッフにもりんたろう、杉野昭夫ら旧虫プロ出身者が在籍するマッド・ハウスが協力している。
『ジェッターマルス』放映の翌年1978年に「東映まんがまつり」のメインとして公開された映画『世界名作童話 おやゆ び姫』では、手恊謳カはキャラクターデザインを担当。また『白蛇伝』から『西遊記』まで動画を担当した後、虫プロダ クションへ移籍していた中村和子氏を作画監督補佐に推薦。 この作品が結果的に、先生と東映アニメーション作品との生前最後の関わりとなる。 それから33年、手恊謳カの名作を原作として東映アニメーションが制作した『手恷。虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく』 が、すでに世界に通用する日本のカルチャーとなっている「アニメ」映画の最新作として公開となる。 この作品で は『鉄腕アトム』で採用され進化してきたリミテッドアニメの技法で、生命の大いなる息吹が描かれています。それは手 恊謳カが生涯描き続けてきたテーマでもあり、「絵が動く」ことに憧れ続けてきた先生の思いの継承でもある。
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